2018/10/19

区民響、平成最後の演奏会のチラシできました!

区民響としては、平成最後の演奏会となります、港北シンフォニーコンサート 第63回定期演奏会は、年明け平成31年(2019年)1月13日(日)、横浜みなとみらいホール 大ホールにて行われます。

曲目はブルックナー交響曲第7番ホ長調(ハース版)と、シューベルトの「ロザムンデ」序曲

入場無料 全席自由席!演奏会当日、入場時にこのチラシをご提示いただければ、1枚で2名様まで入場できます

どうぞお気軽にお立ちよりください。

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2018/09/17

親子コンサートの様子

8月26日に実施した親子コンサートの動画の準備ができましたのでお届けします。

ラフマニノフ:パガニーニの主題による変奏曲 第18変奏

ヨーゼフ・シュトラウス:鍛冶屋のポルカ

ボロディン:歌劇「イーゴリ公」から「だったん人の踊り」

2018/09/16

室内楽コンサートのご案内

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10月21日(日)に、第13回港北区民交響楽団室内楽コンサートを、大倉山記念館ホールにて開催します。弦楽器・木管楽器・金管楽器による様々なアンサンブルをお楽しみください。

入場無料(先着順)ですので、お気軽にお立ちよりください。

チラシはこちらからダウンロードできます。

2018/08/29

御礼

日曜日に港北公会堂で開催された第19回夏休み親子コンサートには、身の危険を感じるほどの猛暑の中、301名ものお客様にご来場していただきました。団員一同、深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

お子さんも多く入場され、手拍子、足拍子でオーケストラの演奏に参加していただき、大いに楽しんでいただたものと思っております。

区民響では9月8日より、来年1月13日の第63回定期演奏会に向けて、ブルックナー交響曲第7番の練習を開始します。

今後ともご支援のほど、宜しくお願いいたします。

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港北区のキャラクター「ミズキーちゃん」が、今年も応援に来てきれました!

2018/07/06

親子コンサートのチラシができました!

8月26日に予定されています第19回なつやすみ親子コンサートのチラシができあがりました!
観覧申込は8月6日必着で往復ハガキにより受け付けております。

奮ってご応募ください!

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2018/06/16

ファゴット団員募集

港北区民交響楽団ではファゴット奏者の募集を開始しました。
詳しくは、こちらのページを参照ください。

2018/06/10

第62回定期演奏会の動画

先週実施した第62回定期演奏会の動画の準備ができましたので、お知らせします。




 チャイコフスキー:「くるみ割り人形」作品71より
















 ドヴォルザーク:交響曲第6番 作品60






2018/06/04

ご来場、ありがとうございました

昨日行われた第62回定期演奏会には、港北公会堂開催で最大規模の、430名のお客様に足をお運びいただきました。団員一同、深く感謝申し上げます。

暑い中でのご来場、誠にありがとうございました。

区民響は16日より、8月25日に行われる第19回なつやすみ親子コンサートに向けての練習が始まります。引き続きご支援のほど、宜しくお願いします。

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2018/05/28

<《ラジオ劇風!?》曲目解説> ドヴォルザーク:交響曲第6番

前回の曲目解説は長文なため「読むの面倒くさ」と思った人も多いでしょう。
そこで《ラジオ劇風!?》ドボ6誕生秘話?(笑)
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登場人物:

(リ):ハンス・リヒター。36歳。指揮者。元ホルン奏者。ワグナーチューバの開発者でも知られる。
(ブ):ヨハネス・ブラームス。46歳。作曲家。ウィーン音楽院講師。

(ド):アントニン・ドボルザーク。38歳。作曲家。元オーケストラ楽団員。8年前に作曲家になるべく独立。4年前に自作オペラを初めてプラハで成功させた新進気鋭作曲家。
1879年11月某日、深夜。
ウィーン市内のとあるホイリゲ、今日の演奏会でドボルザークのスラブ狂詩曲を演奏したリヒターを囲んで打ち上げの最中。

(リ):なんで、ああも受けねーのかねぇ。昼間はあんだけ好評だったってぇのに。

(ブ):まあ、そんなこともありますよ。

(リ):なあ、そう言えば、おっさん何で今日はリハから聴いてたんだい。今回はおっさんの曲はやってねぇのによぉ。

(ブ):それはその、アントン君がウィーンに来たと思ったら、僕と遊ぶためじゃなく、君の指揮する演奏会のためって言うもんですから。面白そうだと思って。

(リ):昼間のドレスリハ、アントンと一緒に並んでしゃあしゃあと舞台上で手まで振って。ありゃ、おっさん、アントンの曲に対する拍手なんだぜ。おい、アントン、お前も何か言ってやれ!

(ブ):ははは、僕は人気ありますからねぇ

(ド):ぼ、ぼ、ぼくは、こ、光栄だとお、思うんだな。そ、それに、ぼ、ぼく、はき、君より年上なんだな。

(リ):けっ、こまけーこと言ってるから、ハゲんだよ。

(ド):し、し、失礼なんだな、こ、こ、これはおでこであって、は、は、ハゲではな、いんだな、まったく・・・

(リ):んで、アントンよ、どうすんだ、これ。お前lくやしくねーのかよ。

(ド):べ、べ、別にく、悔しくなんかないんだな。ぼ、ぼくのせいじゃない訳だし・・・

(ブ):それはそーだよねぇ、どっちかと言うとハンス、君のせいか、と。アントン君の曲に君の棒って、重過ぎるんだよねぇ。なんでもシンフォニーっぽくすりゃいいってもんじゃないしぃ・・・

(リ):んだとぉ、おっさん、いいてぇ事言ってくれんじゃねーか。じゃあこうしよう、次はシンフォニーだ。おい、アントン、シンフォニー書け、シンフォニー。なあ、出来んだろ、お前ならさぁ。そうだ、これはあれだな、一昨年やった、おっさんの2番のシンフォニー、お前、あんな感じの曲作れ。んでもって、おっさんの曲より受けさせてやんよ。

(ド):で、できるけど、い、い、いいのかな。そんなの。

(ブ):面白そうですねぇ、同じ調、同じ拍子、テンポとか構成同じにしましょうよ。

(リ):おっ、おっさん話わかるじゃねーか、よっし、じゃあ決まりな。アントン、頼むぜ、な。はっはっはっ!。

(ド):つ、作るけど・・・お、お金・・・

(リ):んな細けーこと気にすんなって、さあ、飲め飲め!

というようなことがあって書かれたのが交響曲第6番なのです(嘘ぴょん!)

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こんな経緯で誕生したドヴォルザークの6番。
この曲に興味を持たれ、定期演奏会の入場整理券をお持ちの方は、どうぞお忘れなくご来場ください!

2018/05/27

<曲目解説> ドヴォルザーク:交響曲第6番

6月3日の第62回定期演奏会のメインは、ドヴォルザークの交響曲第6番。

あまり演奏機会に恵まれない曲ですので、事前にこの曲が誕生するに到った経緯をご紹介します。

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ドボルザークの顔はよく知らている。一方、その生涯はあまり知られていないかもしれない。それは一言で言えば、幸運な出会いの連続である。

例えば、職業専門学校に上った時、ドイツ語教師をしていた教会のオルガニスト、アントニン・リーマンに音楽の才能を見出され、リーマンが両親を説得して音楽の道に進めさせてしまう、とか、その音楽学校では学費に苦労していたところ、裕福な同級生カレル・ベンドルとその一家から全面的に援助されるようになった、とか・・・

学校を卒業し教会オルガニストの職を得ようとして果たせず、止む無くバイオリニストとしてオーケストラで働き始めたら、そのオーケストラでワーグナーが自作品を指揮しプラハ初演するとか、その後ビオラ奏者で転職した先のオーケストラの常任指揮者にスメタナが就任して数年間指導を受けられるようになるとか・・・

極めつけは、オーケストラを辞め作曲家を志し、いくつかのコンクールに応募したところ、審査員だったブラームスから認められて友達付き合いするようになったり、ブラームスが売り込んでくれたお陰で当時の楽譜出版大手ジムロック社から楽譜が出版されるようになったり・・・

こうも都合のいい出会いが続くと本人の行動がすっかり影が薄く見えてしまう。

これらの出会いが1つでも無ければ、今日知られている作曲家ドボルザークは有り得なかった訳で「運も才能のうち」という事なのか。

第6番の交響曲の作曲の経緯も例外では無い。

19世紀後半から20世紀初頭を代表する指揮者であるハンス・リヒターが、1879年11月某日ウィーンフィルの演奏会で取り上げたのはドボルザークのスラブ狂詩曲第3番だった。

演奏会に先立って行われたドレスリハーサル(貴賓を招いての演奏会形式でのリハーサル)は好評で、作曲者ドボルザーク自身もステージ上に呼ばれ喝采を浴びている(この時ブラームスも同席していた事がドボルザーク本人の手紙に書かれている)。

にもかかわらず、演奏会本番では聴衆の反応は冷ややかだった。

不本意な結果を受け、リヒターはすぐさまドボルザークに新しい交響曲の作曲を迫った。この新進の作曲家の力量を是非ともウィーンの聴衆に認めさせたかったのだ。斯くして、翌年書き上げられたのが、このニ長調の交響曲である。

ところが完成してみると、リヒターは出来栄えを称賛したものの、なぜか理由をつけてなかなか初演しようとしない。実は当時ウィーンでオーストリア帝国内の民族運動への反感が高まっており、チェコ人の作品を取り上げにくい情勢になっていたのだった。

しびれを切らせたドボルザークは、結局プラハでチェコフィルによる初演を実現させてしまうのだが、リヒターはその不義理を埋め合わせるかのように1882年にロンドン公演でこの曲を演奏している。

結果的にこれがドボルザークの名声を高める事になる。

ロンドンの演奏会は大成功で、またジムロック社から出版された本作の楽譜も諸方面から注目を集め、ついにはロンドン・フィルハーモニック協会から交響曲第7番の作曲を依頼されるまでになる。

この曲は言わば、ドボルザークの出世作となったのである。

曲はブラームスの交響曲第2番(1877年ウィーン初演)を思わせる。1楽章と4楽章は調性・拍子・構成ともにブラームスの曲に倣っている。これは当初初演を想定していたウィーンの聴衆に合わせた趣向である。とは言えドボルザークらしさに溢れており、ブラームスの交響曲の類似性など言われなければ気づかない程である。

なお、最初に出版された交響曲だったため長い間、第1番とされていたが、ドボルザーク自身は、この曲を最後まで第5番と呼んでいた。ドボルザークは紛失したと思い込んでいた本当の第1番の交響曲の草稿が発見でされて、やっと第6番の交響曲と呼ばれるようになったのは、リヒターが願って果たせなかったウィーンフィルによる初演(1942年)の10年ほど前の事である。

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こんな経緯で誕生したドヴォルザークの6番。
この曲に興味を持たれ、定期演奏会の入場整理券をお持ちの方は、どうぞお忘れなくご来場ください!

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