まだ間に合う!第38回定演申込
5月21日の第38回定演入場申込の締め切りは、5月2日(必着)。
まだ間に合います。応募要領はこちら。
さて、第38回定演のメインはドボルザークの交響曲第7番。
ここではこの曲の解説を、区民響風に紹介してみましょう。
いわゆる誰もが知っているという名作ではない。余り演奏する機会のある曲ではないので、個人的な思い出がそうある訳でもない。良い曲であり個人的にはドボルザークの交響曲の中で1番好きなのだが、8番、9番に比べ完成度が劣るのは仕方が無い。 何よりも、特異な経歴の作曲者本人に比べると、この曲の成立は地味に過ぎる。ご存知のように、この曲の次に書かれた8番の方は「イギリス」と呼び慣わされている(余談だがこの手の愛称を作曲者に断りもなく付けてしまうのは一体誰なのだろう)。まあ、そのように呼ばれた理由は単に、楽譜の出版元がイギリスの出版社になったからというこれまた無味乾燥な話しなのだが、そんな事とは無関係に「イギリス」という語に聴衆はロマンチックなイメージを重ね合わせてしまう。実際にはロンドンのフィルハーモニー協会からの依頼に基づいて作曲された7番の方こそ「イギリス」と付されるには相応しいとは思うのだが、歴史はそうでなかった。そんな不運もむしろこの曲に似つかわしいのかもしれない。
7番は齢40を過ぎ、ようやく国際的に名前が知られるようになって来たドボルザークが初めて海外からの依頼を受けて作曲した作品であり、いわばようやく、事業が軌道に乗り始めた新興企業の社長にとって初の大口受注とでも言えば分かりやすい。
初の大仕事に向かったドボルザークは、それまでの苦労を噛みしめ、ようやく訪れた脚光に感慨を覚えつつも、自己の持てる全ての技量を駆使し何とかクライアントの満足を勝ち取ろうとする。残念ながらそういう心境で行う仕事には、むしろ私小説的な要素は極力排除されるだろう。私事を語っている場合ではないのである。仕事の成果物は可能な限り、ドボルザークという個人を知らぬ者にとっても十分説得力のあるものでなくてはならないのだから。この曲を聴いていると、どうにもそんな想像をしてしまうのである。
実際作曲に先だってブラームスの交響曲3番の初演に立ち会い大いに感動したということもあって、この曲には随所にブラームスの作品を思わせるような技巧が凝らされている。いわゆる"「国民楽派」の、(それ故民族色溢れた叙情的な作風の)作曲家の作品"ではない。手堅く緊密で構成的。正統なロマン派の(要するに当時国際的な標準仕様)交響曲となっている。これに比べれば8番や9番など遥かに構成も展開もオーケストレーションも単純/平易である。正しく持てる技量の粋を凝らしたと言えば聞こえが良いが、所詮は「力み」であるかもしれないのである。複雑な音の綴れ織りはむしろ聴衆に明解な印象を与えることを拒む。洗練された技巧は重い音の奔流に埋め込まれ、半ば暗い情念のうねりに似た響きとなって現われる。
しかし、それに加えて後世はこの曲に酷く誤解を招く解釈を与えて来たのではないか。
誰しもが、後に8番や9番を書くことになる作曲家の作品として7番を演奏しようとする。スラブ的で叙情的、時に情熱すぎる余りに形式をふみ超える、あるいは「泥臭い」というレッテル。
この曲を書いていた時のドボルザークはむしろ逆のことを志向していた筈である。「スラブ的」作曲家ではなく、より国際的な洗練された作風の作曲家として認められること。にも関わらず、7番がやはりドボルザーク的であることは彼の天才の証。そしてそれはスラブ的であるなどという物分かり良すぎる言葉では片付けられないのではないか?。
いずれにせよ、この曲を「スラブ的」に演奏することは余りに紋切り型に過ぎ、そもそも作曲者の最も腐心していたであろうものを殺してしまう筈なのだ。
区民響ではこれまで、8番/9番は共に2回ずつ取り上げてきましたが、7番は初挑戦。
比較的演奏機会の少ない7番を「無料」で聴ける良いチャンスです。
どうぞ、奮ってご応募下さい。
※往復ハガキによる申込です。ネット経由の申込は受け付けておりませんので、ご容赦下さい。
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