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2019/01/04

ブルックナー作曲 交響曲第7番

第63回定期演奏会のメイン、ブルックナー作曲 交響曲第7番について、ブルックナーにほれ込んでいる団員の一人が、ここで簡単にご紹介します。
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この曲は、1885年に、バイエルン国王ルートヴィヒ2世に献呈されている。ちなみに、第八番はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に、第九番は神に捧げられている。
ブルックナーの交響曲を評して「ブルックナーは九つの楽章を持つ、一つの交響曲を書いた」というものがある。もちろんこれは、彼の九曲の交響曲(正確には、番号無し、第0番を含め、11曲)は、どの曲を聴いても似たようなものだ、という悪口なのだが、一方で言い得て妙な表現でもある。
彼の交響曲群は、根底で一つながりの、いわば九つの峰を持つ長大な山脈の体をなしている。それぞれの峰は、決して画一的と言うことはなく、しかし、いずれも聴けばブルックナーだ、とわかる。その上で、誤解を恐れずに言い切れば、六番までの交響曲には、まだ物堅い、習作的な気配が残るのに対し、七番以降はそれが吹き払われ、ここからの3峰はより高く、山容が際立つ峻峰である。中でも七番、もっと言えばその第一、二楽章は、他にはない蒼蒼とした麗しさをたたえた秀峰である。
この曲の特徴は、その主題が「歌える」ことであろう。たとえば、五番や九番を紹介するのに、ちょっと歌ってみる、というわけにはいかないが、この一楽章の第一主題は、頭から2オクターブに渡るフレーズであるにもかかわらず、歌になっている。その「歌」は、暁の空が晴ればれと明けていくようでもあり、若者が天に向かって大きく背伸びをしているようでもある。この曲が完成したのは、彼が59歳の時であるが、特に一楽章は、これが60前の人間が書いた曲なのか、と思うような瑞瑞しさがある。
第一楽章を聴くと、“山のあなたの空遠く「幸(さいはひ)」住むと人のいふ”という詩を思い浮かべることがある。第一主題後半の折り重なるような音型は、遙かに続く青い山並みを見渡しているようであり、その果てにある何かへの憧れと期待の高まりを示すようでもある。曲の進行はそのまま、彼方をさして歩き続ける若者の姿のようである。
終盤の強奏のあとの放り出されたような弱奏に続く、391小節からの、ppからの長いクレッシェンドは、「幸」を求めての旅の果て、なお広がる山並みを前にして、「幾山河こえさり行かば、寂しさのはてなむ國ぞ」と胸を一杯にするような、自己陶酔的な若さを感じる。
第二楽章は、友人に宛てた手紙にある、『私はひどく悲しかった。巨匠はもう長くはもたないだろう』という、ワーグナーの死への予感の中で作曲が進められたという。1883年2月14日、前日にワーグナーが死去した、との報らせを受けたとき、アダージョの作曲は半ばまで進んでいた。ワーグナーの死は、一つの時代の終わりであった。彼はこの楽章の終盤、練習記号Xに、ワーグナーチューバによる葬送音楽を加え、巨匠を送った。第二楽章は4月21日に、全曲は9月5日に完成している。
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演奏会場にはチラシを見せるだけで入場できます。
足をお運びいただければ幸甚です。

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